「魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」感想及び解釈その1

はっきりいいます。
間違いなく一般向けじゃない。
とにかくハードルの非常に高い作品になってしまったなぁ、という印象を受けました。
映画みていて、これほとんどの人が意味わかっていないんじゃ?と思いつつ見ていましたね……。
まどか☆マギカという作品が有名になって、新たなファンをいろいろ獲得したと思います。
それを全部切り捨てる覚悟で書いているんじゃね?と見終わったあと、正直思いました。
まず第1に。
最近アニメでやっていたリトバスの来ヶ谷シナリオ。あれを理解できないと混乱しっぱなしであっという間に時間が立ちそうな気がします。
慣れていると、ああ、そういうことね。で話が終わりますし、理解も早いと思いますが。ほとんどアニメをみたことがない人にはきついでしょう。
アニメとかに慣れていない人は、理解できないまま話が進む可能性がある、とだけ指摘しておきます。ああいう系に慣れていないときついとしか・・・。
まぁそれを除いてもラストが・・・。
スタッフがこの作品は賛否両論になるといいました。私は賛成側ですが、否定する側が出るのも当然です。
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とにかく残り10分、残り10分が衝撃でした。
え、そうくるの、と。
点数は100点満点で94点。評価はこれかなり割れると思う。面白かったけど、人に勧められない映画。


以下私の解釈及び感想。(激バレ)
解釈ver1.01(12:00更新) 意見あったらよろしくお願いします。一回見ただけだから、まとまっていないところとか勘違いしてそうなところが多々。
最初の世界
・ナイトメアと呼ばれる敵がいる世界
・5人全員+シャルロッテ(べべ)が勢ぞろい
・この世界では悪夢を見せる敵がいる。悪夢をいい夢に変換するためにナイトメアを倒す必要があり、そのために魔法少女が存在。そして良い夢になったことで、対象の感情が綺麗なものへとかわり、それによりソウルジェムが浄化される。
(エネルギーは感情の変化により獲得出来るのでこのときエネルギーを回収していると思われる)
・この世界は魔女になりかけたほむらが構築した世界。だから、この世界はほむらの理想である、5人全員が存在し、普通にみんな仲良くいられる世界となった。
・実際に生きている魔法少女のマミさんと杏子、そして世界の数名(恭介とか)をまきこんで、円環の理に導かれたさやかと、シャルロッテ、そして、自分の思い描いたまどかを巻き込んで世界を構築。


ほむらがなぜ魔女になりかけたかといえば、ほむらの汚れ切ったソウルジェムが円環の理の干渉を受けないよう、QBさんがバリアをはったから。
魔女になりかけたほむらが世界を構築するのをみて、魔女になることによるエネルギー獲得のすごさを確認。魔法少女円環の理に導かないようまどかを支配しようとする。
まどかもまた、円環の理の業務に疲れきっていた。ほむらとアニメ版最終回のやりとりを忘れかけていた。
QB側はこれをチャンスとみた。
ほむらはまどかがQBに汚されるくらいなら、と、絶望のまま魔女になろうとする。
それを止めたのが、円環の理の1つとなっていたさやかとシャルロッテそして杏子とマミ。円環の理に導かれた存在はまどかの手伝いをするような役割に落ち着くようで。
まどかは孤独ではなかったのだな、とちょっと安心しましたね。・・・まぁ全部裏切られるわけですがw
そして魔女になりかけていた、ほむらを倒して、杏子とさやかのやりとりとか色々あって。ほむらが円環の理に導かれる―――


……で終わればなんの問題もなかったんだよっ(血涙)


まぁだからこそ面白かったんですがね・・・。
ほむらはそれを拒否。円環の理としてまどかが近づいてきたところでまどかの円環の理としての記憶を奪い、まどかがいる世界の再構成。
神であるまどかを否定した、悪魔と化したほむら。
まさかほむらの叛逆の物語だったとは・・・。
テレビアニメ版で、まどかが新しい世界を構築できたのは、因果の糸がまどかに集中していたため。
・・・ということは。
何度もループしているほむらに因果の糸が集中していないはずがなかった。アニメ中では時を操る存在だったから、という理由でまどかの記憶をもった存在として魔獣の空間に存在できていた、という解釈だったが、実は因果の糸が集中し過ぎていたためだった。だからほむらは世界の再構成が可能だった。
・・・ってかそれでワルプルギスの夜撃破できなかったってことは、相性がよっぽど悪い敵だったんだろうねぇ。
円環の理としての役割をまどかが失ったので、この世界には魔女が存在する。そのことを美樹さやかは批判し、美樹さやかの記憶を奪う。
この世界では、まどかが転校生としてやってくる。
そんなまどかにほむらは聞く。
「自分の欲望と秩序、どっちが大切?」
と。
まどかの回答は「秩序」。その言葉が引き金でまどかは円環の理としての記憶を呼び覚まそうとするが、ほむらがなんとかその場は食い止める。


作中なんどかまどかのセリフでこんなのがあります。


「ほむらちゃん、一人ぼっちになっちゃダメだよ」



ほむらにとって一人ぼっちとは、まどかのいない世界です。
しかし、まどかにとって、一人ぼっちというのは一人だけ世界からはなされている状態です。
・・・わかりやすくいうのなら。
いまほむらは全てを知っています。まどかが円環の理だったこと、それを自分が切り離したこと。
そのように世界を認識しているのは、ほむら一人だけです(精神的に一人)。しかし、まどかがそれを思い出せば二人となります。
そうなった場合その場で円環の理が復活し、肉体的に一人になりますが。
まどかにとって、円環の理の役割は非常に辛いものでした。だからこそ、今回の映画でQBにつけ込まれそうになりますし。
しかし、自分だけがその役割を果たせるのだとしたら、まどかは円環の理をやることを受け入れます。
これがそのまま「自分の欲望と秩序、どっちが大切?」という問いに対する二人の差です。
ほむらは欲望を選んで、まどかは秩序を選ぶ。だから敵になるかも、とほむらはまどかに最後宣戦布告します。


しかし、ここからがまさに虚淵節が全開なところで。


ほむらは作中、何度も見られるようにまどかのことを欲望的に欲しつつ(肉体的に一緒にいたい、と思いつつ)狂信しています。まどかの願いを否定することはできません。
実際に敵になったら戦いはするし、到底受け入れられない運命でしょうが、まどか自身を肯定し、その運命を受け入れます。
だからこそ、彼女は映画の最後で、楽しげに踊ってまどかがすべてを思い出すのを待つのです。円環の理の任務を果たしていない、(欲望を選び、肉体を有している)まどかはまどかであってまどかではないのですから。QBを下僕として従えた世界で彼女は一人、待つのです。(最後ボロボロになったQBはそれを暗喩)
・・・もう狂気だね、うん。しかし個人的には面白かった。

ってかおもいだしてみれば。
はじめの仁美と恭介の関係がこれの隠喩になってるのね。
仁美は上条と一緒にいたいでしょうが、だからといって仁美のことばかり優先してヴァイオリンをひかなくなった上条は上条じゃないですし。
まぁこの二人の場合。
ヴァイオリン:仁美=80:20とか50:50とか少しは調節できるのに対し、まどかとほむらは100か0しかないっていうのがきついというかかわいそうというか。